ノマド占い師のブログ

京都カウンセリング占い

怪我

足を怪我してしばらく動けそうにない。

この際だ、過去にあった事を色々書いてみよう。

私は20代の頃、問題ある家庭に育った影響もあり、外に出られなくなってしまった事があった。

それをなんとかしたくて精神科に行った。
通院する事で、外に出る機会を作ったわけだ。

しかし、薬の服用だけでどうにかなる問題ではなかったので、ある方(女性)の講演会に行き、その方の言われる内容に感銘を受けた私は、その方がされているワークショップに行くようになった。

参加者がそれぞれ抱えている問題などを話し、次はグループに分かれてワークをする。
ある人は怒りを吐き出したり、ある方は問題となった場面を参加者に演じてもらい、自分になったり他人になったり、それを見たりする。
再現ドラマとでもいうのだろうか。

そうする事で、問題を客観視するようになり、苦しみが軽くなったり、癒されたりする、というものだった。

私はトータルで、そこに4.5年は行っていただろうか。

ちょっとした舞台にも出させてもらうようにもなった。
もちろん自腹で参加費を払う。

私にしたら大金だったが、自分を「治した」かった。

ある日、舞台の稽古前に、そこの事務所で、事務仕事を頼まれて手伝っていた。
主宰者の人がある店で昼食をとるから、と、数人のメンバーも合流して食べる事になった。

対人恐怖で、人前でご飯を食べる事に極度に緊張する私は、主宰者が何かを行っても、はい、くらいしか言えなかった。
リーダーと呼ばれるような人の前でリラックスできないのはいまだに少しはある。

私の父は日曜日だけは家族で夕食をとる人だったが、酒飲みで、酒がまわると、感情などのコントロールができなくなり、家族に暴力を振るう人だった。

3歳くらいの時に、私が、いただきます、というのを忘れて食べ始めたら、父が激怒し、真っ赤な顔で怒鳴り始めた。

私は走って逃げたが、3歳であるから、すぐに捕まり、それから抱きかかえられながら、顔を叩かれ続けた。
泣きながら、寝るふりをした。
泣き寝入りとはこの事かな、苦笑。

それから記憶にない。

とりあえず父を怒らせたら恐ろしい事がおこる、誰も助けてはくれない、とわかったので、私は父の前では話さない子になった。
基本的にはい、か、いいえ、しか言わず、日曜日の夕食は、怒らないようにするために必死で耐えた。
それがエスカレートし、誰か知らない人が一人でもいると、全く言葉を発さない、場面緘黙になった。
親戚には、この子の声を聞いたことがない、とか、大人になり、家を出る時に親戚に挨拶したら、こんな子いたの?知らんかった、と言われた。

それくらい、私は自分の存在を消すのが得意だった。
物音をたてない、話さない、笑わない、幽霊のように生きた。
小学生になる頃には、兄からの暴力に悩まされるようになった。

もう削除したが、以前兄に叩かれて痛いから泣いたら母にうるさい、泣くな、と叩かれてから、泣かない子になった、と投稿した事があったが、成長とともに暴力もエスカレートし、私は兄と口を聞かないことで、自分の身を守るようになった。
誰も助けてくれないからだ。

ゆえに、私は家族と親しく話すという習慣のない人生をおくってきたから、他人と食事をしながら楽しく話す、などという事が、なかなかできにくい性格になってしまった。
特にそこのリーダーがいる時は。


話がそれたが、昼食後そのワークショップの主宰者Mから、事務所に電話があり、スタッフに
「Mさん(主宰者)が昼食を楽しくとりたいのに、あなたと○さんが暗かったから怒っている」と、言われた。

私はその後、夜からある稽古に行く時に、怒られたもう一人の○さんに、Mさんに謝りに行かない?と言ったら、○さんは、後でいい、と言ったから、Mさんが入ってきてもすぐに謝罪にいかなかった。
○さんに合わせた。

するとMさんは、座るなり、舞台に出るみんなの前で、私と○さんを怒り始めた。

「私は子供の頃から病弱で20歳までは生きられないと言われた。
だから、昼食のわずかな時間でも楽しみたいのに、あなたは暗すぎる。
質問した事にも受け答えがはっきりしないし、めざわりだ。
何より私が入ってきた時に、謝罪に来なかった。
それが一番おかしい。」

私は恐怖で凍りついてしまって、体が硬直し、何も言えなくなってしまった。

「あなたはね、下品よ。
舞台に出るのか出ないのか、はっきり答えなさい!」
と、怒鳴られた。

「やるのか、やらないのか、早く答えなさい!」

何回も言われたのに、もう辞める事は決めているのに、なかなかそれが言えなかった。
何故か、体がこわばって、言葉が出てこなかった。

もう一人の○さんは、「やります」と答えたが、私は
「やめます」
と、振り絞って言ってから、稽古が始まり、私は主宰者と助手をされていた方に、
「すみませんでした」
と、言いにいったが、嫌そうな顔をされただった。
私は走って駐車場に行き、急いで車を飛ばして、2時間ほどかけて家に帰った。
車中でずっと泣いていた。

もう二度と、あそこに行く事は無いんだな、というか、もう行きたくはない、悲しくてすぐに謝罪に行かなかった事を悔いもしたが、何より傷ついた。
癒しの作業が中途半端になり、残念ではあったが、あれだけ主宰者を怒らせたら立場はなかった。
みんなの白い目がよみがえって、悲しかった。

食事を楽しくしていない、という理由で、大勢の前で怒鳴られる事は、私の中では、死刑宣告を受けたようなショックな出来事で、しばらくトラウマになった。
ますます引きこもるようになり、再び精神科に行くようになった。

私はまだ今もその人の年齢にはなっていない事にも驚く。
それほど私は若い歳下だった。

その事は何年経っても忘れる事がない。

その女性主宰者は今もおそらく元気に怒鳴りながら、舞台や色々な事をされている。