ノマド占い師のブログ

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喪中

母が亡くなって、まだ一か月もたたないのだが、生前私はあまり会いに行かなかったからか、あまり実感がない。

最後に母に会ったのは、昨年の母の誕生日。
転倒して落ち込む母に、もうすぐ誕生日だから、何か食べに行こう、和食がいいよね、と、私にしては珍しく、食事に誘った。

私は飲むのメインになるし、女2人でコース料理にして残るのが嫌だったから、個室にはならなかったし、料理チョイスの居酒屋的な使い方になってしまったが。

年末にきょうだいが母を旅行に連れて行ってくれて、帰宅して、間がなかった。
年明けに姉は姪と母に会いに行っている。

私には年賀状も届いていたし、元気にしていると思っていたし、話に聞くと実際元気だった。
亡くなる直前まで、普通に買い物に行っている。

生前、母に会いに行った私にも
「私はどこにも行かない、ここで死ぬ」
と言い切っていた。
本当にその通りになった。

私はここ数年、急ピッチで自分のできる親孝行はしてきたつもりだが、それが母の死を早まらせたのだろうか?

いや、そうとも思わない。

ただ、母は、私と同じ末っ子だし、年下の身内までどんどん亡くなっていたから、どこか寂しそうで、会いに行くたびに、自分はもう身につけないから、と、アクセサリーを渡された。

母が亡くなって数日後の枕経の日、
母が寝ていた部屋の引き出しの一番下の一番上のわかりやすい場所に、私がまだ小学生の低学年で、字を覚えたての下手くそな字で書いた手紙があったのを見つけた。

お母さん、この手紙は死ぬまで大事にしておいてね、誰にも見せないで、
と、書いてあった。

母がその通りにした事が驚きだった。
私はそんな手紙を書いた事すら忘れていた。

母も私も不器用だけど、どこか似ている所があった。

占い的に言うと、干合の関係で、陽占では、同じ場所に同じ星が複数ある。
私から見ると、親はケチだが、母から見ると、仲間のような関係だろうか。
頑固で融通が効かないが、芯を貫き通す粘り強さはある。

母は、許せない、許さない、という気持ちをなかなか手放せなかった人だったが、晩年はそうでもなかった。

私は母のようになりたくはなかったから、許せない、許さない気持ちはあっても、自分の経験した事から、手放す事を選んだ。

私が身動きがとれず、一番苦しかった時、母は度々手紙やファックスを送ってきた。
読んだらすぐに棄てるように、と書いてあったので、母が誰にも言っていない事がわかるが、私は残しているものもある。
しかし、いつかは処分しないといけないなぁとは思っている。
母が、墓場までもって行ってくれた事には感謝している。

 

母が亡くなり、不思議なことが、時々あるのだが、それはまた後日。